計画性の無さすぎる話(笑)

先日、友人からちゃんちゃらおかしな話を聞いた。

 

なんでも、しばらくの間仲違いしていた男の知人(40代)から急に電話が来て、仲直りをついでに近況を聞いてみると、付き合っている彼女との間に子供が出来て、妊娠後期だという。これだけならまあ、良くあるできちゃった系の話だが、この男は未だに母親とゴミ屋敷の賃貸に同居していて、ごく最近まではろくに就職もせず、コンビニでアルバイトをしたり、酒場で呑んだくれたりして、貯金もゼロ。この時点で計画性もへったくれも無いが、その上でろくに避妊もせずヤりまくって、子供を孕ませるなど、俺からしたら言語道断である。ちゃんちゃらおかしな話である。どれだけ計画性がないんだって話。今は一応、就職しているらしいが、こんな奴、いつまで続くかわからないし、なによりも産まれてくる子供がかわいそうだ。

 

なんか1~2年前、俺のことを影でずいぶん馬鹿にしたような事を言ってたみたいだけど、こんな奴に一番とやかく言われたくない。お前にあるのは学歴とちょっとした職歴だけ。過去の栄光にすがるのもいい加減にしろよ(笑)ま、俺には関係ない話だし、どうなろうとどうでも良いけどな。他人を気にするほど、ヒマじゃないし。お前と違って忙しいからな。

 

俺よりバカな奴がいると心底安心する。その存在だけには感謝するよ。

同じ言葉でも違う言葉

だいぶ前、65歳のイケオジが言ってくれた言葉。

 

「社会は、そんなに甘くないですよ」

 

よく聞くフレーズではあるが、妙に、ズッシリと"重み"を感じた。

 

同じフレーズを言う人は沢山いるだろう。

しかし、65歳のイケオジが言ってくれた言葉は、今まで、様々な修羅場を潜り抜けた人にしか言えない、有難きものであったし、それまでの経験がギュッと詰まったもののように感じた。

 

今でも脳内で再生される、唯一の、僕だけが受け取った"世界でたった一つの言葉"である。

 

 

役職が"ヒト"を変える

役職が"ヒト"を変える。誰かが言っていた。間違ってない。責任のある役割を敢えて与えることで、自覚が芽生えるのである。

 

確かに僕も、ある程度は責任のある役割・役職を与えられたことで、少しはビシッとしたような気がする。

 

文章では偉そうなこと書くけど、中身はおこちゃまですから...僕は...(笑)

人格否定されたらしい

人づてに聞いた話だが、僕が、現職(介護施設)での生活相談員という立場を利用して、以前勤めていた介護施設のある利用者を勧誘している(していた)という事になっているらしく、これに対して仕事の遅い男性職員が「人としてどうなのか」等と苦言を呈しているらしい。

 

確かに、利用者から直々に電話をもらって、社交辞令として「今、勤めている施設には〇〇さんみたいなしっかりした人がたくさんいますよ」等と言ったことはあるかもしれないが、勧誘した事実は無い。

 

言われのない事で人格否定をされるのも腹立たしいが、仮に事実であったとして、勧誘に応じるか応じないかは本人もとい家族次第である。ある程度しっかりした人が、出て行きたくなるような酷い介護施設なら、もはやそれまで...ではないのか?

 

そもそも、僕自身、以前勤めていた介護施設には二度と近付きたくない。勧誘が仮に事実で、成功したとしたら、実態調査等で1回は行かなければならなくなる。自ら近づくような事はしませんから。そこらへんは、言われのない事で僕の人格を否定した仕事の遅い男性職員が良く分かっているはずなんだけど。

 

仕事が出来ないくせに、口ばかり一丁前。こういう奴が一番困る。

俺はそこまでバカじゃない

バカな奴は何言っても分からないのである。分かろうとしないのが正解か、俺は一応分かろうとするからそこまでバカじゃない。

 

分かろうとしない奴は謝ることを知らない。自分の非を認めないから、いつまでもバカなままなのである。

 

分かろうとしないし、反省することも知らないから、悉く同じことを繰り返す。これを世間ではバカという。

約束を破りまくり、被害者ぶるバカ

やっぱり約束を何度も破られるというのは気分が悪い。その約束が、こちらが色々な調整や、譲歩して成り立ったものの場合は尚更。こっちが相手に会いたいが為に、色々な大人を動かして、調整のために時間も使って...そんな事も知らないで悉く破ってくる、んで、反省の色も見えない。こんな奴とは関わらないが吉である。

 

人を怒らせておいて、怖いとかほざく奴も嫌い。こっちは被害者なんだけど...

 

こんな思いをするなら、はなから声掛けてこないで欲しかった。まあ、最初から合わないかな?と思ってたから、丁度良かったかも。

いつまでもクルマ好きでいるだろう

 

僕はいつまでもクルマ好きでいるだろう。特に燃費の悪い、ガソリンやオイル等のケミカル臭いクルマが大好きだ。どんなクルマにも、魂が宿っている。感情があるのだと信じてやまない。自分のクルマにも、雑に使われる社用車にも。はたまたボロボロの放置車にも。これからもずっと、自分が関わるクルマ全てにできる限りの愛と時間と、時には金を注いでいくのだろう。クルマを運転できなくなっても、車体をキレイに保つことは出来る。

 

クルマは単なるモノではないと思う。こう思うのは、クルマに成長させてもらった、クルマに助けられた経験があるからなのだ。出不精な僕を外に連れ出してくれたクルマ。人との関わりをもたらしてくれたクルマ。ハナシのタネをもたらしてくれたクルマ。運転している間も、常にクルマとの対話の時間。

 

クルマのおかげでお金にはたいへん困った。が、後悔は全くしていない。反省はしているが...

 

このような想い、感情を、子供を育てる感覚に似ているのでは?と思うことがある。これをうっかり人に話すと、全く理解してもらえないのだが...

 

人嫌い

僕はそもそも人間が嫌いなのだと思う。心を許す人間はごく僅かだし、常に人の顔色を伺っている。伺いすぎて、余計な事にも気付いてしまう。とにかく人を気にしているのだ。その証拠と言えるのか、モノマネが大変上手いと言われる事が多い。

 

人は、年齢を重ねればこんな事はどうでも良くなってくると言う。まだまだ未熟なのだろう。頑張って生きないと。

 

 

パソコンが壊れた

趣味で使っているWin98のノートパソコンを修理して、使えるようにしたと思ったら、メインで使っているWin10のノートパソコンが壊れた。

 

HDDがカチカチ言い出して、OSが起動しなくなった。

 

MBRは無事で、何となくデータが飛んだだけでHDD自体はまだ使えそうな様子なのだが、この際HDDを交換して、Ubuntuでも入れようかなと思う。

 

パソコンがWin98だけというのも、大変不便なのだ。

自動車の車線を減らして歩道を拡幅?!

東京新聞の夕刊に目を通す。なんでも、車が行き交う大通りの歩道を活用して、カフェやテラス席を置き、随時イベントを開催したりして、にぎわいを生み出そう、という動きが地方都市の各地で相次いでいるらしい。

 

問題はその次で、歩道の拡幅の為、自動車の車線を1~2車線減らしてしまおう、という構想も、各地であるという事。

 

あちこちで渋滞ばかりの街に住んでいる身からすると、え?!大丈夫なの?!という心配が真っ先に出て来る。元々2~3車線あった車線をつぶして1車線なんかにしたら、大変な事になるんじゃないのか??

 

でも、そのような心配が無いからこそ、こういった構想も浮かんでくるのだろう。わが街は、東京がすぐ隣にあり、人口もそれなりに多い。電車等の公共交通機関が充実しているのにも関わらず、皆クルマで移動したがる。一部、道路を充実するよりも先に住宅を分譲したような所もあり、このような所は、毎日のように大渋滞を引き起こしているのである。

 

クルマを気持ちよく走らせられるような、田舎に移住したいね。